第8回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト
 作文・海外部門最優秀賞受賞作品


   『わたしには私がいる』        

                                           ライト みき

 この世の中で一番信頼できる人。人生で一番自分を大切にしてくれる人。世界で一番自分を好きでいてくれる人。
 それが誰なのか気がついたとき、わたしはいじめから克服することができました。
 その人は怖がりで恥ずかしがり屋で、不器用で泣き虫なのに少し負けず嫌いの私自身でした。
 いじめは小学校四年生に始まりました。まずは仲良しグループから無視をされ、次第に嫌味や悪口を聞こえよがしに言われるようになりました。わたしはまだ子供で何がなんだか分からず、親に相談しても「ただの子供のケンカだ」と思われ、仕方なくわたしは仲良しグループから離れ、他のグループで平和に小学校を卒業することができました。

 その後は中学校二年生になってからです。
 また同じように仲良しグループから無視をされたり悪口を言われたりしました。今度は他のグループに入ろうにも、いじめを始めた女の子たちはクラス全員にわたしの悪口を言い、わたしはクラスで完全に孤立してしまいました。特に接点のないクラスメイトからも大声で悪口を言われたり「死ね」「いるだけでムカつく」など毎日のように暴言を吐かれ、今でも思い出すだけで吐きそうになるぐらい辛い思いをしました。あまりにも辛すぎて、あの頃の記憶だけが消しゴムで消したように頭の中にない部分もあります。思い出そうとすると胃がキリキリと痛み気持ちが悪くなるほどです。

 そんな辛い思いを思い切って両親に話すと、母は酷く悲しみ、わたしの何がいけないのか、何が悪いのか、問題はわたしにあるのではないかと嘆きました。母があまりにも傷心してしまったので、わたしは母に助けを求めるのをやめました。
 そして父はと言えば「お前が弱いからだ。おまえが悪いから嫌われるんだろう。」とわたしを責めるだけでした。

 最終手段は担任の先生でした。担任は男の体育教師でした。彼は、放課後にいじめをしている女の子たちとわたしを交えて話し合いをすると言いました。しかしその話し合いがとても酷いものでした。なんと担任はわたしを黒板の前に立たせ「皆がなぜお前をいじめているのかよく聞け。」と言ったのです。
 わたしは立ったまま元仲良しだった元友達からの酷い暴言を延々と聞かされました。

「自分勝手」「あたまが悪い」「気がつかない」「言っていることとやっていることが違う」「人の話を聞いていない」「バカ」「どんくさい」

 わたしにはまったく根拠のないことばかりでした。ただの悪口以外の何物でもありませんでした。そこにいるだけで苦痛で仕方なく、わたしは私という人間が生きているだけで有害な存在なのではないかという錯覚すら覚えました。このまま駆け出して屋上から飛び降りてやりたい衝動に何度もかられました。
 その延々と続く苦痛は時間が終わったころ担任は言いました。

「これで分かったか。お前が悪いところを直せばいじめられることはないんだ。ここで皆に謝れ。」

 実はこの時、わたしは彼らの前で謝ったのか、頭を下げたのか、それとも何か反論したのかまったく覚えていないのです。わたしは私自身を投げ捨てて謝罪したような記憶もありますが、ショックでただ立ちすくんでいたような記憶もあるのです。とにかく、わたしのすべてはその地点で全く変わってしまったのです。

 わたしは私という存在を否定されすべてに絶望し、助けを求める場所も生きている意味も無くしてしまい、完全に一人ぼっちになってしまったのでした。
 話を進める前に、わたしに対するいじめはなぜ起こったのでしょうか。

 今思えば、わたしは今で言う「空気の読めない人」だったのだと思います。わたしは仲良しグループ皆で雑談するとき、いつも話の内容がよく分からなかったのです。一人一人と話すとよく理解できて反応もできるのですが、グループになると皆が話している内容を頭の中で整理できなくなり、そのうち何の話をしているのか分からなくなってしまうのです。皆と行動するときもそうです。皆がやるようなこととまったく反対のことをしていたり、気がつくとわたしだけ違うことをしていたり。そうなると確かにわたしは自分勝手と言われてしまいます。でもわたしにはその自覚はまったくないのです。むしろ皆に合わせようと必死になりすぎて墓穴ばかり掘っているような感じでした。

 そして更に極めつけは話題です。芸能人やテレビの話題も周りが良いと騒ぐものにどうしても共感できず、それでも無理に合わせて知ったかぶりをして白い目で見られたり、嘘つき呼ばわりされました。どんなに周りに合わせようとしても、わたしの好きなものはいつも皆とは違い、人がどうでもいいことに熱中したり、人が首を傾げたくなるような音楽などを友達にすすめたりしていました。
 確かに、両親や担任が言うように原因はわたしだったのです。今となってはわたしの一番の長所で、わたしが胸を張って自慢できる「人と違う」という、この性格がいじめられる原因だったのです。

 話は中学二年生のときの話し合いの日に戻ります。正確に言えばその日は話し合いではなく「わたしに対する暴言大会」でしたが、とにかくその日、わたしはどんなふうに学校を出て、どうやって帰って来たのか、親と話したのかお風呂に入って夕飯を食べたのか、まったく覚えていません。覚えているのは翌日の朝です。わたしは母に起こされましたが、酷い頭痛で起き上がれず、結局学校を休むことにしたのです。
 その日、わたしは眠り続けました。とにかく眠くて眠くて仕方なかったのです。母が心配して食事を運んできたり熱をはかってくれたのは覚えていますが、それ以外はずっと眠り続けました。翌日も起き上がれず学校を休みました。

 目が覚めたとき外は明るく、カーテンの隙間から眩しい光がもれていました。両親は仕事に出ていて家の中は静まり返っていましたが、窓の外からは鳥の声や車の音など日常の音が聞こえました。

「ああ、学校は昼休みぐらいかなぁ。」
 
  そんなことを思うと、急に翌日から学校に行くのが怖くなりました。きっと話し合いで起こった出来事はクラス全体に広まっているはず。クラスメイトの冷たい視線、女の子たちからの嫌がらせや悪口、勝ち誇った担任の顔。頭の中で繰り返すクラスでの光景は地獄絵のようでした。
 
「学校が怖い。人に会うのが怖い。」

 頭の中で明日という日が来なければいいのにと願っているうちに、わたしはすごいことを思いつきました。

「死のう。わたしはこの世でいらない存在なのだから。あんな辛い思いをするんだったら死ぬ一瞬の辛さの方がずっといい。わたしが死んだら、お母さんだっていじめられてばかりのわたしを心配したり、辛い思いをしなくて良くなるのだから。」

 そして、何よりもわたしの心を侵略していたのは絶望よりも憎しみでした。

「あいつらを見返してやりたい。わたしが死んだらあいつらはずっと後悔して生きていくんだ。死んであいつらの人生をめちゃくちゃにしてやる。」

 悔しくて悲しくてたまりませんでした。黒板の前で罵声を浴びさせられている可愛そうなわたしが頭の中にこびり付いています。意地悪な元友人たちの顔、誇らしげにその様子を見ている担任教師。

「なぜわたしが、なぜわたしだけがこんな目に。」

 わたしはこのとき初めて大声で泣きました。涙がベッドをびしょびしょにしてしまうぐらいたくさん泣きました。今まで大声で泣く機会も場所もなかったのです。一人の部屋で誰もいなくて、誰も見ていない。たくさん泣いてもわたしを引き留めるものは何もありませんでした。

「かわいそうなわたし。ひとりぼっちのわたし。惨めなわたし。」
 
 好きなだけ泣き終わった後、わたしはお腹がすいてきて母が置いていってくれたお昼を食べました。冷蔵庫からもあるものを出して食べれるだけ食べました。たくさん寝て、たくさん泣いて、たくさん食べた後、わたしは無意識に「死んじゃダメだ」と言っていました。

「あんなバカな人たちのために死ぬなんて絶対に嫌だ。」

 そう言う自分がいました。

「あんな人たちこそわたしの人生にいらない。意地の悪い顔、平気で嘘をつく態度、自分は正しいと勘違いしているかわいそうな人たち」

 私自身がわたしに話しかけているのがわかりました。そして気がついたのです。

「わたしには私がいる。誰でもない私がいる。嘘をつかない、意地悪をしない、正しくて優しい私という最高の理解者がいるんだ。」

 わたしは世界でただ一人、わたしを信じて大切にしてくれる人を見つけたのです。それは他の誰でもない私自身です。翌日わたしは学校に行きました。周りには目もくれず自分だけを信じることにしました。休み時間はできるだけ教室から離れて図書室に行ったり、校庭を散歩したりしました。寂しくも悲しくもありませんでした。なぜならわたしには私という最高の友人がいつもわたしと一緒にいるからです。どうでもいい人に気を遣うことも顔色を伺うこともないのです。わたしは自由になったのです。

 しばらくそんな学校生活を続けているうちに、わたしはわたしのように一人で図書室や校庭の隅にいる人たちに気づきはじめました。わたしたちは少しずつ会話をするようになり、次第に友達と言える存在になりました。学年もクラスもバラバラの個性的なグループができました。皆、社会不適合者ならぬ学校不適合者でした。でも素晴らしい人だらけです。絵が非常にうまかったり、人が知らないことをたくさん知っていたり、皆人には無い特別なものを持っていました。
 わたしは私自身を信じ、周りの目を気にしなくなったおかげで、たくさんのことが変わりました。わたしを無視し続けてきたクラスメイトも次第に話しかけてくるようになりました。それでも、どんなときもわたしには私がいると信じ続けました。

 今わたしはイギリスにいます。イギリス人の旦那さんとかわいい娘がいます。彼らは私以上にわたしを大切にしてくれます。そしてわたしには芯から心を許せる友人がたくさんいます。イギリス、フランス、イタリア、スペイン、ポーランド、台湾、韓国、そして日本。様々な国籍の友人がわたしの周りにいるのです。
 わたしは今でも「空気が読めない人」です。人を逆上させているのに気が付かないこともよくあります。変なことを言って変人扱いされることもあります。でもわたしの家族や友人は、そんなわたしだからこそ好きでいてくれるのです。わたしの個性を認めてくれる人たちです。
 わたしが死のうと思ったあのとき、わたしは無知で小さい世界にしか住んでいませんでした。少し視野を広めれば、世界は本当に大きくてわたしが自由に生きることができる場所はたくさんあったのです。

 自分自身を大切にして自分を信じる。わたしには私という素晴らしい友人がいる。このことに気がついたとき、わたしはいじめから克服することができました。
 そして今は誰よりも幸せで楽しい人生を送っているのです。